みけにゃんこたち はなちゃんの日

緩解後、はなちゃんはしばらくは元気でした。
でも、ひと月ほどたったある日、今まで簡単にベッドに飛び乗っていた
はなちゃんが
やっとよじのぼるように、ベッドに上がり横たわった姿に異変を感じ
すぐ病院に連れて行きました。
このとき、もう少し、ベッドでゆっくり寝かせてあげていればと
今もときどき思い出し悔やまれます。
はなちゃんはリンパ腫が再発してしまったのでした。
抗がん剤を再開しましたが、最初のようには著効せず・・・・
ほどなく抗がん剤は中止し、別の薬に切り替えました。
(このあたり記憶があいまいです)
貧血のため、のんちゃんから血をもらって輸血もしました。のんちゃんは採血中
抵抗もせず、ずっと大人しかったそうです。普通鎮静をかけられることも多い
そうなので、のんちゃんははなちゃんのため協力してくれたんだと思います。
そして丈夫で大きな体格で良かったです。
のんちゃんのエネルギーをもらい、はなちゃんは少し元気になりました。
はなちゃんはのんちゃんから輸血してもらったあと、しばらくして今度は、
動物病院の猫ちゃんから輸血してもらいました。有り難いことでした・・・
のんちゃんから2度採血しないのは
同じ動物から短期間のうちに複数回輸血させることは、安全上出来ない、
ということでした。
もっともなことだと思いました。
しかし、それでも、手を尽くしても治療は及ばず・・・
2年前の今日、2017年8月7日午前1時45分 
はなちゃんは旅立ちました。
最後は酸素ハウスをレンタルし、家で見送りました。
旅立つとき、はなちゃんの身体を撫で「大好きだよ」と声をかけました。
13歳でした。子猫のような可愛い姿のままでした。

こちらのお写真は、2016年MOE誌「作家の猫のいる暮らし」のページのための
取材をうけたとき
写真家の黒澤義教さんに撮っていただいたものです。

はなちゃんの肩のところに光がふわりと集まり、まるで天使の羽のようです。
MOE誌には載らなかったのですが大好きなお写真です。

猛暑の中、庭にほんの少し咲いていたバラとハーブを棺の中に入れました。
お別れに写真を撮っておいたのですが、
確かめるとそのバラはあの「アンブリッジローズ」でした・・・!
はなちゃんのお伴をしてくれていたのですね。

5月に大雨と風で倒れたので、株をぐるぐる巻きにしてくっつけた
アンブリッジローズの一昨日の様子です。
裂けた株元がしっかり活着したようで、力強いシュートが伸び
命日に合わせてくれたかのように美しい3つの花を咲かせてくれました。
家人から「「8月7日は花の日」と聞かされました。
語呂合わせの偶然ですが、はなちゃんの日なんだ、と思いました。

そして同じ8月末、はなちゃんと「同志」のように闘病していた義母も
静かに旅立ちました。
義母はむかしパリさんが旅立った春の盛りの日、「お花いっぱい入れてあげよう」
と言って、一緒に庭のお花を摘み、葬儀にも出てくれたのでした・・・


「みけにゃんこたち」終わります。

みけにゃんこたち はなちゃんとの日々3

闘病中のはなちゃんにしっかり食べさせること、
そしてQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を出来るだけ
高めることが私の大切な役目と意識をチェンジしました。
体重をなるべく減らさず、免疫力を高める食事が必要でした。
基本、本人(猫)が好きなものを食べさせるのですが
病気のせいで、どうしても貧血になってしまうので
安全な鶏の生肉のミンチを、ネットで調べて取り寄せました。
薬のせいなのか、下痢することも多かったのですが、生肉を食べさせると
不思議におなかの調子が良くなったようでした。
それとヒメマツタケリキッドというサプリは、乳がんの手術の頃から
先生のおすすめで
ずっと飲ませていました。この味は、はなちゃんも大好きだったようで
嫌がることはありませんでした。
なまり節はできるだけほぐして食べやすいように。
療養食の高カロリー猫缶も、食べさせました。
チュールはやっぱり大好きなのでよくあげていました。


エリザベスカラーをして経鼻チューブをつけたはなちゃんです。
このチューブから抗がん剤を自宅で私の手で毎日注入したこともありました。
(抗がん剤は状態や治療法により種類を変えて投与されます。)
パウダー状の薬を水で溶いて注入するのですが
この作業をはじめてしたときは本当に緊張しました。

経鼻チューブから栄養補給もしていました。経鼻用の高栄養剤リキッドがあるのです。

実は経鼻チューブは鼻とおでこに縫ってつけてあります。
最初経鼻のことを伺って「そんな・・・辛そう」と思ったのですが
これを付ければ、確実に投薬と栄養補給が出来ました。
チューブを付けエリザベスカラーをしても、はなちゃんは可愛いく見えました。
普通に生活し、のんちゃんと一緒につるんで(?)悪さをしたりもしました。
ベランダに出て日向ぼっこしたり、窓を開ければ、必ず窓枠に飛び乗り風の匂いを
嗅ぎました。私が椅子に座っていると下から見上げて「にゃっ」と跳び付きます。
前足を私の肩にかけ縦だっこ、お尻をぽんぽんされるのが好きでした。
よく私の枕を占領し、頭の上で寝ていました。そして朝は私が起きるまで容赦なく
前足で頭をはたき続けるのです。けっこうキビシイ猫でした💦

本当に最初に想像したような副作用もさほど出ず、はなちゃんは家で
日々を家族と一緒に生活しました。
病院の先生方やスタッフさんにも徐々に馴染み
状態は安定し、やがて週1度の病院通いは2週に1度に減り、季節はめぐり
夏がやってきました。
そしてやっと迎えた緩解・・・1年間の抗がん剤の投与が終わったのです。
経鼻チューブもカラーもとれました。
はなちゃんはとても頑張りました。

「みけにゃんこたち」続きます。

みけにゃんこたち はなちゃんとの日々 2

切除手術3年が過ぎ、ずっと元気だったはなちゃんが、急に食欲をなくしました。最初は様子を見て胃腸薬を飲んでいたのですが、回復せず体重は減少、異変を感じた先生が検査をすると、結果は思いがけない悪性リンパ腫でした。乳がんの転移ではないそうです。もう安心、と思っていた矢先のことでした。かかりつけの先生の説明を伺うと、この病気の治療の困難なことがわかりました。
そして先生のすすめで、より高度な医療が受けられる病院に紹介状を書いていただき転院することになりました。普段はかかりつけの病院に通い、難治性の病気は大学病院や専門病院に紹介していただくようなシステムが、動物の病院でもおこなわれるようになってきたのです。

幸いその病院は家からも近く、私のヘタな運転でも通えることがわかりほっとしました。なにより有り難いのは土日も24時間救急外来可だったことです。
ただちにその病院で診察していただくと、このままではもって一月という厳しい結果でした・・・
治療法は抗がん剤投与が有効とのこと、でも副作用が心配でした。
しかし、あとひと月、もう迷っていることは出来ず、その日のうちに入院させ
抗癌剤の投与に踏み切ることにしました。
何時間もかけ、ゆっくりと点滴で抗がん剤を投与するのです。弱って痩せてしまったはなちゃんを預け病院を後にしました。「大丈夫だよ、明日来るからね」と頭を撫でて。
そして、翌日、病院に行くと・・・
はなちゃんは私を、その大きな目で見て、「にゃー!」と元気にないたのです!!
きっと弱って吐き気で苦しんで声も出ないとばかり思っていたのに・・・
続いて「この子なまり節食べるね~」と先生の嬉しそうな声が!
はぐはぐ先生の手から、なまり節を食べているのです。
はなちゃんがしっかり食べている!
本当にほっとしました。
今後の治療計画の説明を受けて、
はなちゃんを連れて退院し、これから1週間に一度、抗癌剤の投与のため通院することになりました。1年間の投与で緩解を目指し終了予定とのことでした。
この治療で数年生き延びた子もいる、
というお話を伺い希望を抱くことにしました。
実はこの同じとき、同居の義母がやはり抗がん剤投与で通院しており、
義母とはなちゃんのケアを同時にすることになったのでした。

和室でくつろぐのんちゃんとはなちゃんです。ここから庭にくる小鳥や近所の猫たちを眺めていました。はなちゃんがここにひとりでくると、必ずのんちゃんがあとから追いかけてきました。
猫の1年は人の4年にあたります。はなちゃんとの大切な日々が始まったのでした。

「みけにゃんこたち 」続きます。