青梅シロップ煮


6月も今日で終わりですね。収穫した青梅のシロップ煮を
先日やっと作りました。

収穫したばかりの青梅です。
洗ってヘタをくしでとり、冷凍しました。
冷凍しておくと、アク抜きしなくて済むんですって。
6月はちょっとばててしまって、しばらく冷凍したままにしておきました。

今回、はじめて炊飯器でシロップ煮を作ってみました。
凍ったままの青梅と砂糖、ひたひたのお水を炊飯器に入れ一晩保温
(炊飯ボタンではなく保温ボタンを押します)にします。
ふっくらのシロップ煮ができあがりました!簡単でした~
お砂糖は青梅と同量くらいでしょうか。
保温時間は12時間くらいにしてみました。
そして念のため、鍋に移し替え、皮がやぶけないよう気を付けて
数分沸騰させました。

出来上がったシロップをお水で割ったり、炭酸や焼酎割りに。
青梅の実はヨーグルトにいれても美味しかったですよ。
夏バテにはクエン酸ですね!

いずれあやめかかきつばた

6月も後半です。
今日は降ってきそうで降ってこない曇り空です。

先日地元の公園の「しょうぶ・あじさい祭り」を見に行きました。
「祭り」といっても幟が立っているだけで、平日の夕方、人出も少ないので
のんびりできました。
しばわんこたちのようにお舟に乗って、というわけにはいきませんでしたが、
とりどりの色鮮やかな花々が美しく、うっとり。

あやめ、燕子花(かきつばた)、花菖蒲の違い、割と難しいですね。
5月の丹後の節句に、軒先に飾ったり、菖蒲湯としてお風呂にいれたりする
薬草の菖蒲は、サトイモ科の菖蒲です。
花は地味で目立ちませんが、香りがとても強く薬効があります。
そして今ごろきれいに咲くのはアヤメ科の「花菖蒲」で種類が全く
違うのだそうです。なので、菖蒲と花菖蒲の違いはよくわかるのですが、
「花菖蒲」と「燕子花」と「あやめ」の区別を説明するのはなかなか難しいです。
「あやめ」は乾いた場所に咲きます。
「花菖蒲」と「燕子花」は湿地に咲きます。
しかし「花菖蒲」と「燕子花」もアヤメ科アヤメ属なので総称として
3つを「あやめ」と呼んだりするのでややこしくなります。
「燕子花」は主に色が紫で、前面に垂れ下がった花弁に主に白い斑があるのが
特徴だそうです。
「花菖蒲」は種類、色がとても豊富で、花びらに黄色の斑紋があるそうです。
なので画像は「花菖蒲」と思われます💦
言葉で書くとすごくややこしいのですが、お花をずっとみていると、
種類がわかってきますよ。私は華やかなのが花菖蒲、すっきり凛としているのが
燕子花となんとなく感じています。



花菖蒲は水辺に舞い降りた鳥のようにも見えます。




日ごと深まっていく木々の緑・・・



アンブリッジローズその後

5月の大雨と風で、長年連れ添ってきたバラさん、アンブリッジローズの
株元が裂けてしまい、応急手当したことを先月アップしました。


裂けた茎を接木テープでぐるぐる巻きにし、支柱で固定した画像です。
5月の22日の記事です。
果たしてくっつくでしょうか?


1週間ほどたつと、新芽がでてきました!生きています!

3週間ほどたった今日の写真です。柔らかい枝が伸びたちまち葉が茂り小さな蕾もつきました。

良かった!バラは意外に強いです!
せっかくの蕾ですが、株を消耗させないよう咲かせず摘み取ります。
ちょっと残念ですが・・・

挿し木は、残念ながら失敗してしまったので、なんとかこの12年ものの株、
これから迎える猛暑も乗り切ってほしいです。
頑張れ、アンブリッジローズ!見守っているよ。

田辺聖子先生

田辺聖子先生が旅立たれたと、昨日編集のIさんからご連絡いただきました。
昨夜はなかなか寝付けませんでした。

中学生の頃、宝塚ファンだった私は、先生の原作「隼別王子の叛乱」が
宝塚で舞台化されたのがきっかけで、先生の作品と出会うことが出来ました。

でも先生の小説に本当に夢中になったのは20代後半の頃から。
特に「乃里子3部作」といわれる「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」
は何度読み返したことか。
当時独身で絵描きで一人暮らしの私は、主人公の人形作家の乃里ちゃんが
隣にいる、自分の友人のように思えたのでした。
女性の人生の「自由と孤独」「甘さと苦味」を軽やかに教えてくれました。
仕事や生活でしんどいことがあると、先生の小説やエッセイを読みました。
私にとって先生の言葉は夜の海を照らす灯台のようでした。
そしていつか私もこんな大人の女性になりたいと願ったものでした。

私の本棚にある先生の御本を並べてみました。
朝、お花を摘んでブーケにしてお供えさせていただきました。
昨日、一昨日の雨でバラさんがだいぶ痛んでいたのですが、
今朝は晴れ、雨に耐えてきれいに咲いたものが少しありました。
先生にはやっぱりバラがぴったりきます。
「まいにち薔薇いろ」の先生だから・・・

「女が愛に生きるとき」(講談社文庫)という大好きなエッセイ集があります。
その最初に載っている「何のために生きるかー私の場合ー」から
引用させていただきます。
私は迷ったり辛かったりすると、このページを開いていました。



人は何のために生きるか?ということを私はいつも考えている。
私は人生を楽しむために生きるのだ、と思っている。
そして私の場合、楽しむことは人を愛すること、人に愛されること、
にほかならないのである。
仕事をするというのも、読者に愛されたいためであるように思われる。
つまり、私が美しいと思うこと、とびきりのユーモアと感じること、
心をしびれさせるような恋、悲しいこと、そんな、もろもろの感動を、
心一つに抑えがたくて書くことに対して、「ほんと!私もそう!」と読者の方が
いわれる、すると私は、「そう?あなたもそう思う?そうでしょ!」
と勢いこんでいう、そんな感じの小説ー「私と一緒ねえ!」
と感動をわかちあうような小説を書きたいと思う。
小説を書くのは、そのために書くのである。
(中略)
どんな人だって、愛するものや愛されるものを一人も持たなければ、心は
死んでしまう。
生きて、愛して、人生を楽しむこと、それがまず根本にあって、それを守るため
政治も経済も法律もあるのである。お金も若さも美しさも、音楽も本も、
そのためなのだ。
(中略)
そしてやさしい思いやりや、愛や恋を人生でいちばんたいせつにすることによって
残酷や無責任や傲慢、狡猾を、告発することになれば、いちばんよい。
 私はそれは、その人の事業や作品だけで成立するものではなく、その人の
人生もふくめての、大きな作品であらねばならぬと思っている。
                     「女が愛に生きるとき」より

             
「そうだったんだ、元々は。それがいつの間にか歪み、忘れられたり
してしまうんだ」とかつて気付き、そして今また思い出しました。
人が本来希求する方向に
勇気をもって軌道修正させてくれる言葉です。
そして、なにかの作品を作る作家でなくても、人はその人自身の人生が
作品となるのだと気付かせてくれる言葉です。

信じられない奇跡がおこり、もうずいぶん前、MOE誌上で
先生とお話させていただき「~がすきなんです!」と舞い上がる私に
「一緒やね」と微笑んでいただきました。
しばわんこがお好きと伺い、部屋を走り回るほど喜んでしまいました。
私にとっての灯台、田辺聖子先生。その灯りはずっと消えないでしょう。
私たちに魔法の言葉を贈り続けて下さった先生。
本当にありがとうございました。

                             合掌
                       

                           






梅雨入り

今日も朝から雨で、少し肌寒いくらいでしたね。
庭仕事を頑張り過ぎたのか、ちょっとグロッキー(死語)
身体があちこち痛くて、とうとう整形外科のリハビリに通うはめに・・・
レントゲンを撮っていただいたら、私の頸椎はストレートネックだそうで、
首の後ろの筋肉を鍛えないといけないらしいです。
長年の細かい仕事と腰をかがめる庭仕事(主に雑草取り)のせいかなあ・・・
絵を描くときはやっぱりどうしても俯いて姿勢が悪くなってしまうのです💦
そんなわけで毎日ストレッチしております。

収穫した青梅でシロップ煮を作ろうと思っているのですが、
とりあえず冷凍しておきました。休み休みしましょう。

鉢植えのイチゴです。庭仕事しながら、もいでその場で食べていました。
こういうのは楽しいです。汗をかくのでビタミンCを補給!


「ジュード・ジ・オブスキュアー」イングリッシュローズです。
フルーツのようなとても甘い香りがします。大好きなバラさん。


この季節、お舟に乗って、見頃の菖蒲をのんびり眺めに行きたいところです。